Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~貧困と老後とアーミッシュ

先ほど、インターネットの記事を読んでいましたら、現代の若者(老人も含むのでしょうが)は、貧困と老後の事が心配なのだ、とありました。

貧困、これは、現行の社会体制が悪いでしょうか。

ようやく就職できたとしても、ブラック企業が多く、サービス残業をさせられる。多くの人は、正社員になれず、いつ首を切られるかも知れない派遣社員・・・そんな中、自分が貧困予備軍であることを痛感する・・・そんな若者のイメージが浮かび上がります。

また、老後の心配ですが、これは私のような老人にも当てはまります。貰えると思っていた年金は減額され、銀行利子は下がり、消費税は上がっていくばかりですから、実質購買能力は低下の一途をたどっています。

しかし、もし、国が、社会が、会社が、己を保護してくれることはないのだと、皆が、腹を括ったらどうでしょうか?

何か出口が見えてこないでしょうか?

私はアメリカのアーミッシュが好きです。

彼らは、意思決定能力のない子供に幼児洗礼を行うのは人権侵害だとして(洗礼は、二十歳を過ぎてからにすべしという主張)、時の教会に異を唱え、ヨーロッパで迫害されて、アメリカに移住してきたクリスチャンです。

彼らは「日曜日に教会に行くのが重要なのではなくて、己自身が、毎日、キリストとして生きるのが重要だ」と言います。

フィラデルフィアその他、各地にコミュニティーがありますが、それはゆるいもので、実際には地域の人々の中に溶け込んで生活しています(車を使わず、馬車に乗り、移住してきた当時の服装のまま生活していますので、彼らのコミュニティーは、ちょっとした観光地にもなっています)。

彼らの互助組織は、非常にしっかりしています。

彼らは顔の見えない人同士で保険を掛けるのはおかしいといい、通常の、国レベルの保険に入ったり、保健に入ったりはしません。

そして、いったん、アーミッシュの誰かが、大病をした、災害で家を失ったと知ったら、アーミッシュ内部で寄付を募り、自ら出かけて行って、<顔の見える>支援をします。

彼らは国が、社会が、会社が何かしてくれる、などと当てにはしていないのでしょう。

この地球上で、同じ志を生きる人間同士が団結する、それ以外に己を守る方法はない、と考えているように、私には思えます。

志を同じくする仲間が周囲にいて、いつでも助けてくれる。これほど心強いことはありません。

かといって、日本にもあった、ヤマギシズム(山岸会)とか、白樺派の新しき村運動とかは、失敗に帰しました。

通常の社会から(極端に)浮いたようなコミュニュティーは腐敗し、失敗するのではないでしょうか?

その点も、アーミュッシュのコミュニティは、非常に良くできていると、私は思います。

子供も、若者も、働き盛りの人々も、老人も希望を失わない社会、そんなものが棚ボタで落ちているわけはないでしょうが、社会全体がもう少し弱者に優しい風であって欲しいですね。

貴方も<明日の弱者>かも知れませんから。