南伝仏教のDhamma book

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パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-7

4-2 八聖道分

仏陀は《転法輪経》の中で、引き続き、以下のように言う:

「比丘たちよ。徹見を引き起こし、真知を引き起こし、寂静、勝智、正覚、涅槃へと向かう中道とは、何か?

それは八聖道分であり、すなわち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。

比丘たちよ。これが、徹見を引き起こし、真知を引き起こし、寂静、勝智、正覚、涅槃へと向かう中道である。」

ここにおいて、私は解説したいと思う。

「正見」(sammā-diṭṭhi)とは何か?

《大念処経》において、仏陀は、正見の四つの面について解説したが、それは以下の通りである:

’dukkhe ñāṇaṁ、dukkhasamudaye ñāṇaṁ、dukkhanirodhe ñāṇaṁ、dukkha-nirodhagāminīpaipadāya ñāṇaṁーー「苦を知る智慧、苦の集を知る智慧、苦の滅を知る智慧、苦の滅に至る道に関する智慧」ーーこの四種類の智慧を正見という。

「正思惟」(sammā-saṅkappa)とは何か?

心をして、苦諦に投入せしめ、心をして集諦に投入せしめ、心をして滅諦に投入せしめ、心をして道諦に投入せしめる事である。

この四種類の、心をして投入せしめる法を、正思惟という。

禅那(=ジャーナ)法も苦諦に含まれる為、心をしてジャーナの目標に投入せしめる事及びジャーナ法もまた、正思惟である。

正見と正思惟は、常に同伴して存在する。それらは同じ一つの心識刹那の中で生起する。それらは慧学に属する。

「正語」(sammā-vācā)、「正業」(sammā-kammanta)と「正命」(sammā-ājĪva)は戒学に属する。すなわち、戒行の訓練である。

正精進、正念と正定は、定学に属する。

正精進」(sammā-vāyāma)とは何か?

止禅の修行をする時、止禅の目標に完全に専注する為に努力することを正精進という。観禅の修行をする時、苦諦、集諦、滅諦と道諦を徹底的に知るために、努力することを正精進という。

「正念」(sammā-sati)とは何か?

苦諦の憶念(=記憶)を忘れず、集諦の憶念を忘れず、滅諦の憶念を忘れず、道諦の憶念を忘れない事である。この四種類の憶念を忘れない事を正念という。

「正定」(sammā-samādhi)とは何か?

止禅において、八定及びそれらの近行定を正定と言う。

八定とはすなわち:初禅、第二禅、第三禅、第四禅、空無辺処定、識無辺処定、無所有処定及び非想非非想処定である。

観禅の時、行法及び行法の無常・苦・無我の三相に専注するのを正定と言う。この正定は、必然的に正見と同時に存在していて、同じ一つの心識刹那の中で生起する。

これは世間的正定である。出世間的正定とは、すなわち、涅槃を目標(所縁)とし、聖道智と同時に生起する。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-8につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>     ’