比丘たちよ。
求不得苦(=求めても得られない苦)とは何か?
比丘たちよ。
生を受ける衆生が、内心においてこのように願望する:
『どうか私は、生を受けませんように、どうか私は生まれ変わりませんように!』。
が、しかし、このことは願望だけによって達成することはなく、これを求不得苦という。
比丘たちよ。
老を受ける衆生が、内心においてこのように願望する:
『どうか私は、老いを受けませんように、どうか私は老いさらばえることのないように!』。
が、しかし、このことは願望だけによって達成することはなく、これを求不得苦という。
比丘たちよ。
死を受ける衆生が、内心においてこのように願望する:『どうか私は、死を受けませんように、どうか私は死亡することのないように!』。
が、しかし、このことは願望だけによって達成することはなく、これを求不得苦という。
比丘たちよ。
愁いを受ける衆生が、内心においてこのように願望する:
『どうか私は、愁いを受けませんように、どうか私に愁いがないように!』。
が、しかし、このことは願望だけによって達成することはなく、これを求不得苦という。
比丘たちよ。
悲しみを受ける衆生が、内心においてこのように願望する:
『どうか私は、悲しみを受けませんように、どうか私に悲しみがないように!』。
が、しかし、このことは願望だけによって達成することはなく、これを求不得苦という。
比丘たちよ。
苦を受ける衆生が、内心においてこのように願望する:
『どうか私は、苦を受けませんように、どうか私に苦がないように!』。が、しかし、このことは願望だけによって達成することはなく、これを求不得苦という。
比丘たちよ。
憂を受ける衆生が、内心においてこのように願望する:
『どうか私は、憂を受けませんように、どうか私に憂がないように!』。
が、しかし、このことは願望だけによって達成することはなく、これを求不得苦という。
比丘たちよ。
苦悩を受ける衆生が、内心においてこのように願望する:
『どうか私は、苦悩を受けませんように、どうか私に苦悩がないように!』。
が、しかし、このことは願望だけによって達成することはなく、これを求不得苦という。
そして仏陀は、統括的な方式で、以下のように苦諦について、解説する:
「簡単に言えば、五取蘊は苦である。」
五取蘊とは、すべて、観智の目標となるものである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-12につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>