第三節 生命の本質
仏教では、世間における万物の生起と存在は、皆、各種各様の条件に依存している、と言い、
これらは、”因・縁”と呼ばれる。
多くの縁によって組成された事物と現象は、”縁生法” ”行法” または ”世間法” と呼ばれるが、人間の命もまた例外ではない。
生起と存在がありさえすれば、その最終的な結果は、必ずや壊滅に向かう。
生があれば、必ず滅するのは、世間の万物の必然的な規律である。
たとえ、永恒であると思われている太陽、月、山川大地であっても、最終的には壊滅する日がやってくる。
物は、ずっと新しいままではいられず、花は常に満開ではありえず、人は長く生きながら得ることはできず、命は、常には、存在しえない。
世間には、どのような永恒なる、不変のものも、見つけることはできない。
生命は、誕生から死までが一つの過程であり、この過程もまた無常である。この過程(+自体)が無常であるだけでなく、毎日、毎時間、毎分、毎秒、ないしは一刹那毎、みな変遷して変化し、生滅しているために、無常なのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(3-8につづく)
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>