南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-22

5-4 苦の滅に導き至る道聖諦

引き続き、仏陀は第四項目の聖諦を説明する:

「比丘たちよ。

これは苦の滅に導き至る道聖諦である:

それは八聖道分であり、すなわち、正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定である。」

時には、八聖道分を道諦(magga-sacca)と呼ぶ事が有るが、しかし、本経典の中では、仏陀はそれを「苦の滅に導き至る道聖諦」(dukkhanirodha ‐gāminī-paipadā ariyasacca)と言っている。この二種類の名称の、その意味は同じである。

八聖道分には二種類があり、それはすなわち、世間的ものと、出世間的なものである。

もし、出世間の八聖道分に到達したいのであれば、みなさんは、まず先に、世間的八聖道分を育成する必要がある。

一つの聖道の出世間八聖道分は、ただ一人一人の心の流れの中で、ただ一度しか生起する事がない。ゆえに、それ自身は、育成されたものではない。

世間的八聖道分で言えば、あなたが観禅を修習している時、5項目の聖道分が同時に存在する。

たとえば、もしあなたが、五蘊およびそれらの因を照見することができるならば、更に進んで、これらの行方の無常・苦・無我の三相を観照しなければならない。苦諦法と集諦法は、共に行法と呼ばれる。それらの生滅する本質を透視する事を通して、あなたはそれらの無常を知る;

それらが生滅の圧迫を受けている本質を透視する事を通して、あなたはそれらの苦を知る;

それらの恒常なる自我を持たない本質を透視する事を通して、あなたはそれらの無我を知る。

このように観照する時、これらの行法の無常・苦・無我の三相を知る智慧は正見である;

心をこれらの行法及びその無常・苦・無我の三相に投入するのは、正思惟である。正見と正思惟は、同時に存在する。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-23につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>