6 三摩地経
ここまでにおいて、四聖諦の意義と、その重要性を説明し終えた。
どのような修行をすれば、四聖諦を了解する事ができるのだろうか?
《諦相応・三摩地経》(Sacca Saṁyutta、Samādhi Sutta)の、以下の部分を(+説明するので)、静かに聞いて頂きたい:
「比丘たちよ。
定力を育成するべきである。
定力のある比丘は、諸法を如実に知る事ができる。
彼は何を、如実に知るのか?
彼は:『これは苦である』と如実に知る;
彼は:『これは苦の原因である』と如実に知る;
彼は:『これは苦の息滅である』と如実に知る;
彼は:『これは苦の滅に導き至る道である』と如実に知る。
比丘たちよ。
定力を育成するべきである。
定力のある比丘は、諸法を如実に知ることができる。
ゆえに、比丘たちよ。
『これは苦である』と知るために、精進努力しなければならない;
『これは苦の原因である』と知るために、精進努力しなければならない;
『これは苦の息滅である』と知るために、精進努力しなければならない;
『これは苦の滅に導き至る道である』と知るために、精進努力しなければならない。」
このように、四聖諦を了解し悟るためには、まず先に、定力を育成しなければならない。
定力を育成するための止禅の法門は、40種類の多くに上り、あなたはそのどれか一つを選ぶことができる。
ここでは、私は、まず安般念について説明し、その後に《大念処経》の中に書かれている教えに従って、どのように四聖諦を理解し、悟るのかを解説する。
7 安般念の簡単な説明
私はまず、《大念処経》(Mahāsatipaṭṭhāna Sutta)に基づいて、安般念の修行方法を説明する。
この経の中で、仏陀は、以下のように開示して言う:
「比丘たちよ。
比丘はどのようにして観身為身(=身体を身体として観察する事、以下同様)に安住するのか?
ここにおいて、比丘たちよ。
比丘は森林、木の下、または静かな場所に行き、足を組んで座り、上半身はまっすぐに保ち、己の禅の修行の所縁(=目標)に、正念をもって安立する。
彼は正念をもって、息を吸い、正念をもって息を吐く。
吸う息が長い時、彼は『私の吸う息は長い』と知る。
吐く息が長い時、彼は『私の吐く息は長い』と知る。
吸う息が短い時、彼は『私の吸う息は短い』と知る。
吐く息が短い時、彼は『私の吐く息は短い』と知る。
彼は以下のように訓練する:
『私は(息の)全身(=全体)を覚知して、息を吸うべきである。』
彼は以下のように訓練する:
『私は(息の)全身(=全体)を覚知して、息を吐くべきである。』
彼は以下のように訓練する:
『私は(息の)身の行(=全体の過程)を静めて、息を吸うべきである。』
彼は以下のように訓練する:
『私は(息の)身の行(=全体の過程)を静めて、息を吐くべきである。』
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-25につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>