第241段
吉田兼好曰く:
あれこれの願い事を成し遂げた後、時間ができたら仏道修行に励もうと思っているような人間の身に、願い事が尽きる日はついに来ない、云々。
仏道修行は、己自身を見つめる修行です。
地味で味気ないので、最初から好き、という人は少ないかな、と思います(修行にも色々あって、私がいうのは、主に、安般念等の、禅系統または、止観瞑想の事です)。
私は 30歳過ぎた頃から、タイの森林寺院へ通い始め、少しは仏教が分かった気でいたのですが、50歳で、死ぬかと思う大病をして非常に動揺した時、仏教の理論を知る事と、仏法の実践は、まったく別のものだ、と気が付きました。
そのため、それからは修行を中心にした生活に切り替えました。
修行をしたらトントン拍子に悟りました、などということはなかなかあり得ませんが、それでも、仏道は、一日でも、一分一秒でも、早く修行したモンの勝ち、ですね。
修行の方向と方法を間違えないように、修行を裏打ちする為の理論は必要ですが、理論の入り口で、口泡飛ばして議論ばかりしている人を見ると、この人は、修行する気がないのだな、と思います。
50 で大病した時、他の願い事を全部捨て、余計なものをそぎ落とし、修行専一に生活して、本当によかったな、と思います。