こういう事から、いわゆる煩悩とは皆、心内と外境の双方向の関係性によって生じるものである事が分かる。
心だけがあって、外境がなければ、煩悩は生じないし;外境だけがあって、心がなければ、煩悩は生じない。
これは一対の関係ーー心内と外境の関係性なのである。
貪、瞋、痴(=無知)の三種類の煩悩は、簡単に言えば、この一対の関係性の中にあるのである:すなわち、心が外境に粘着する時、対象を好む時、対象を所有したい、独占したいと思う時、それは貪と呼ばれる。
心が外境を好まず、対象を排斥しようとする時、それは瞋と呼ばれる。
外境の本質を理解せず、対象を好ましいと思い、楽しさを得ることができると思い、己の満足を得ることができると思うのを、痴と言う。
(+我々は)根門を通して目標に接触し、不正確な思惟(不如理作意)を通すことによって、煩悩は、生起するのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(3-17につづく)
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>