身体的な姿勢、動作(+の修行)については、上に述べたとおりであるが、感受、心の念(=思い)に関しても、同じである。
あなたが嬉しさを感じる時、あなたは、今、嬉しい心が生起したことを、はっきりと知っているだろうか?
あなたが不快な思いをする時、あなたは、今、不快な心が生起したことを、はっきりと知っているだろうか?
あなたが何かのものに対して、貪欲になるとき、あなたは、今、貪婪な心が生起したことを、はっきりと知っているだろうか?
あなたが何かに対して怒るとき、あなたは、今、怒りの心が生起したことを、はっきりと知っているだろうか?
あなたが緊張する時、あなたは、今、とても緊張しているのだ、ということをはっきりと、知っているだろうか?
一人の人間が、外の境遇に沈み、迷う時、その心は、迷いと惑いの中にあるーー外の境遇を追い求める時、人は、物を得ようと焦慮し、物を失うまいとして、苦慮する。
心を外の境遇から引き離す事、これが覚醒である;
あなたが、己自身の、今ここの、心・身の状態を覚知する時、これが正念正知である。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-10につづく)
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>
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