我々が、業果の法則を理解し、認めるならば、この種の規則性を、遵守するべきである。
もし、更なる美しい未来を望むのであるならば、身口意における悪業を為してはならず、身口意における善業をなして、未来を変革するべきである。
言い換えれば:人生の浮沈、未来の良し悪しは、神仏が決定するのではないし、他人に依存して、願えばそうなる、というのでもない。
己の命運は、ただ、己自身の手の内にある!
どのようにして未来を変革するのか?
先に、己自身を変革しなければならない!
己自身を変革するには、何から始めればよいのか?
調心を学ぶべきである!
まさに、仏陀が《法句・心品》の中で言うように:
”心軽躁難調、随欲望墜落。
調伏心特好、調心導快楽。
心極細難見、随欲望墜落。
智者保護心、護心導快楽。”
入出息に専注することは、調心を実践していることであり、慈愛の発散もまた、調心であり、正念正知を保持するのも、調心である。
仏教のすべての訓練法は、一言で言えば、すなわち、調心である。
しかし、仏陀でさえも、心は非常に調伏しにくいものだ、と言う。
心は極めて快速に生・滅しており、察知するのが難しい。
心は猿のようであり、ソワソワして落ち着かない;
また、心は野生の馬のようであり、暴れまわって、立ち止まることがない。
それを、心のままに放縦であったり、心のままに、唯々諾々と受け身であったりすると、心は己の好みに応じて、あちらこちらに、フワフワと漂い、さまよう。
心を放任すると、人は必ず、心の奴隷になる。
心を調伏すること、それによって、我々は、心の主人になるのである!
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。<5-14(最終回)につづく>
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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>