南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

「南伝仏教キホンのキ」(翻訳文)5-13

我々が、業果の法則を理解し、認めるならば、この種の規則性を、遵守するべきである。

もし、更なる美しい未来を望むのであるならば、身口意における悪業を為してはならず、身口意における善業をなして、未来を変革するべきである。

言い換えれば:人生の浮沈、未来の良し悪しは、神仏が決定するのではないし、他人に依存して、願えばそうなる、というのでもない。

己の命運は、ただ、己自身の手の内にある!

どのようにして未来を変革するのか?

先に、己自身を変革しなければならない!

己自身を変革するには、何から始めればよいのか?

調心を学ぶべきである!

まさに、仏陀が《法句・心品》の中で言うように:

”心軽躁難調、随欲望墜落。

調伏心特好、調心導快楽。

心極細難見、随欲望墜落。

智者保護心、護心導快楽。”

 

入出息に専注することは、調心を実践していることであり、慈愛の発散もまた、調心であり、正念正知を保持するのも、調心である。

仏教のすべての訓練法は、一言で言えば、すなわち、調心である。

しかし、仏陀でさえも、心は非常に調伏しにくいものだ、と言う。

心は極めて快速に生・滅しており、察知するのが難しい。

心は猿のようであり、ソワソワして落ち着かない;

また、心は野生の馬のようであり、暴れまわって、立ち止まることがない。

それを、心のままに放縦であったり、心のままに、唯々諾々と受け身であったりすると、心は己の好みに応じて、あちらこちらに、フワフワと漂い、さまよう。

心を放任すると、人は必ず、心の奴隷になる。

心を調伏すること、それによって、我々は、心の主人になるのである!

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。<5-14(最終回)につづく>

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<無憂比丘著「南伝仏教キホンのキ」中国語→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>