へそをもって、始まりであると言うのは、その起点を言うのであって、それの始まる、時間を言うのではない。
というのも、実際、息を構成する微小粒子の生起は、へそから、鼻の先端までの息全体において、生じているからである;
それらがどこで生起しようとも、それらは、当該の場所で壊滅する。
というのも、諸法(究極法)において、転移または移動できるものは、ないからである。
息は、一組の微小な粒子に過ぎない。
微小な粒子の一粒ごとに、9種類の色法がある:地界、水界、火界、風界、色彩、香、味、食素(栄養素)と呼吸音である。
これらは究極法(paramattha dhamma)である。それらは、一か所から、もう一つの、別の一か所へと移転することはできない。
どこで生じても、それらは同一の場所において、壊滅する。
「移動」という、この一般名的な単語は、因と縁に基づいて、相続する場所に置いて、連続的に生起している、という意味である。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-46につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>