パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-47
入息と出息の始まり、途中と最後は、<息の全体>と呼ばれる。
その意味は、禅の修行者は、それらが何であるかを知らなければならないし、それらを覚知しなければならないし、また、正念を鼻先から離して、息に付いていって、身体の内部に入ったり、身体の外部に出ていっては、ならないし、それらがどのような変化をするかを予測してもならないのである。
上に述べたものは、自然な呼吸法である:へそから始まる呼吸である、など等は。
しかしながら、禅の修行の目的から言えば、専注力は接触点の上にしっかりと固定しておくべきであり、それはすなわち、人中または鼻孔の上に(ある息に)相当するのである。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-48につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>