Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

パオ・セヤドー弘法記念「顕正法蔵」(翻訳文)~4-49

7-6-2 現在形と未来形

ある段階において、彼は、長い息と短い息を覚知しなければならない。その時、完璧に、他の事柄に気をとられてはならない。

ただひたすら、このように実践した後にはじめて、彼は、智、定と戒を惹起するよう、努力しなければならない。

故に、「彼は『私は息を吸う・・・』を知る。彼は『私は息を吐く』と知る」というこの部分の経文が採用している(+語法)は、現在形である。当然のことながら、知っておかねばならないのは、智の惹起もこの時に発生する。というのも、息の長短を如実に知ることは、それほど難しくないからである。その理由とは、それらが発生するのにまかせて、知ればよいだけであるから。これが、この部分において、なぜ(言語が)現在形を採用されているのか、という理由である。

しかしながら、「私は(息の)全身(=全体)を覚知しながら息を吸う」から始まる経文では、それが採用しているのは未来形であり、それは、これより先は、智、定と戒を惹起させなければならない、という事を表しているのである。

その後の(+修行の)難しさは、鋭利な刃物のエッジの上を歩いているようなものである:これが、後期の段階において、なぜ未来形で表記しなければならないのかという、説明であり、それは、この種の修行には、超人的な精進力が必要になる、ということを表しているのである。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(4-50につづく)

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>