Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~他山の石

日本伝来の、または中国から伝わった諺で、その意味が、本来のものと変わってしまったものが、ままあります。

表題の「他山の石」もそうです。

日本では「他山の石」は、嫌な人に出会った時、「ああいう人には、なりたくないものよ」という、反面教師的な意味で用いられますが、本来の言葉は「他山之石、可以攻玉」(玉は錯とも。錯は砥石の事)で、その意味は「他の山にある軽石(または砥石)は、我が山にあるダイヤモンド、宝石を磨くのに使える」で、そのココロは、「ありがたい、ありがたい」(笑)。

私も長い間、「他山の石」を反面教師的に用いていました。

がしかし、先日、ちょっとソリの合わない人に出会って、自分が彼女に、どれだけ反発しないでいられるか、軽いサマーディに入って、自分の心を観察してみました。

その時、この人に対して、私の心に「ありがたいな」という気持ちが生まれました。

そうなんですね。こういうタイプの人がいてくれて初めて、自分は、こういうタイプの人の言動に苛立ってしまうとか、こういうタイプの人の言動に不快になり、打ちのめされてしまうのだ、という、己の心の(悪い)癖に、気が付くことができるのですね。

彼女は私に、「ああ、自分はまだまだインドリア・サンバラ・・・六根門の守護が足りていないな」と気づかせてくれました。有難いことです(だからといって、これ以上、深く付き合おうとは思いませんが。ゴータマ仏陀も、友は選ぶべし、と言っています。)

ダライ・ラマ猊下も、「私は決して中国人を恨まない」と言っていますね。

それは、弾圧をしてくる中国人(権力)のおかげで、チベット人の心は、ますます強くなり、慈悲を実践できる民族へと成長することができる、と言っているのだと思います(だからといって、権力による民族の弾圧がよい訳はありませんが)。

キリストも「汝の敵を愛せ」と言いました。

敵は本来、己自身の心の中にあり、それに気が付かせてくれるのが、外の敵、他山の石、なのかも知れません。

 《追伸:彼女は、彼女の生き方を、自分で決めることができるーーこれが、your business。

それに対して、私の心の持ちようは私が決める--これが my business。

この区別がつくと、人生、すごく楽になる。》