8-6-2-3 念(sati)
「念」(sati)という、この文字の、語根の意味は、「憶念」である。
しかし、心所(+の働き)としては、それは、留意する、目標に対して気づく、ということになる。
我々が布施(dāna)、持戒(sīla)と禅の修行(bhāvanā)に尽力する時、善心(kusalacitta)に対する信(saddhā)がある(+と言える)。
もし、善なる法の価値に対して、信心(=確信)がないとき、我々は、何等の善業(kusala kamma)もなす事はない。
善心は、信をもって、その任務を実践するだけでなく、念も必要である。
言い換えれば、善なる法に対して、気づきと、忘れないでいる事(+という、心の働きが必要である)。
多くの、布施、持戒と禅の修行の機会があるのに、しかし、我々は、しばしば善法を忘れ、これらのチャンスを見逃している。
念が生じる時、それは、善法への気づきであり、それは、善を行うチャンスを見逃さない、という事でもある。
(我々は)布施、持戒と止観の禅の修行について、正念を保持する必要がある。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-35につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>