Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~テーラワーダ仏教は正しいか?

先日、法友と雑談をしていまして、「テーラワーダ仏教は正しいか?」という事が少し、話題になりました。

しかし、これがなかなか「テーラワーダは正しいゾ!(テーラワーダだけが正しい)」と断言ができないのですね、私には

まず、パーリ語経典は、古いことは古いけれど、ゴータマ仏陀の金口がどの部分かは、学者さん方のご努力をもってしても、いまだはっきりとは、特定できていない(現在では、「スッタニパータ」の中の一部分のみが、仏陀の金口だと言われています。)

パーリ語経典の古層、中層、新層を特定できたとして、大乗仏典への評価、対応も頭の痛い話です。

大乗経典は、仏陀涅槃500年後に、当時の仏教徒によって、サンスクリット語で書かれたものだということは分かって来ていますが、かと言って、内容において、すべて出鱈目で、学ぶに値しないか、というとそうでもない。

たとえば、パーリ経典は六識をいい、大乗の唯識は八識をいいます。

パーリ経典が好きな人は、大乗は余分に二識を立てた、と非難するのですが(台湾の復古派)、実は、六識説では、刹那生滅する六識が、どうやって輪廻(刹那輪廻と段生輪廻の両方を含む)するのか(輪廻の主体となりえるのか)、をうまく説明できない部分があり、時代が下ると、インドの仏教徒達は、阿頼耶識を含む八識を立てるようになった、と言われています。

阿羅漢、または仏陀になったなら、おのずとこの問題は解決するものだと思いますが、凡夫である私は、とりあえず、正念正知、四念処、安般念の修行が大事かな、と思っています。

仏陀亡き今、仏教は正しいか?という設問は主観・客観入り乱れて、争いが多い。

どうやら私には、「仏法の理論・実践・修行は、己の心の浄化に役立つか?」と問うた方が、よさそうに、思われます。