8-6-2-5 慧(paññā)
アビダンマにおいて、慧(paññā)、智(ñāṇa)と無痴(amoha)という、この三種類は、同義語である。
ある時は、慧は、慧根(paññindriya)と言われる。
慧は、如実に、究極法を知る:心、心所、色法と涅槃を。
ここにおいて、それを根と呼ぶのは、究極法を如実に知るためには、それが最も、重要であるからである。
慧は、多くの種類があり、また、多くのレベルがある。
善法の利益を知り、不善法の欠点を知る智慧、また、生命の短さを思惟し後、それによって生じる智慧など等。
たとえ、仏法を聞いたことがなくても、これらの智慧は、生起することがある。
仏法を学習した後、究極名色法及びそれらの諸因(すなわち、業報の法則)を、理論的に理解する智慧。
智慧が向上すると、究極名色法、業報の法則、または縁起を、直接見通す、智慧が生じる。究極法を直接見通す智慧は、最高のレベルまで、育成することができる。
それはすなわち、順序良く涅槃を証悟することと、一切の煩悩を滅する、聖道の智慧である。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-40につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>