南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-25

(訳者註:以下は、原文では表になっていますが、hatenaで表は作成できないので、箇条書きとします)。

★完全に出定した者の状況

(一)結行を修習する時、ある種の人々は、エネルギーが戻ってきた感覚を持つ。

彼らは「心が戻ってきた」と感じ、それを「正常である」とも、確実で実際的である、とも感じる。

彼らの心は、完全に日常のレベルに戻ることに、満足する。

(二)次回、座禅・瞑想をする時、あなたはあなたの業処を、簡単に修行することができる。

というのも、あなたはすでに、己の心を感受しているから。

あなたは、再度、元気よく修行することが出来る事を感じている。

(三)日常生活の中で、あなたは以下のように感じる:

1、心内の平和、静けさ。

2、身体における体力、活力の復活。

3、心の明晰、鋭敏。

4、心は外部の要素によって干渉されたり、影響を受けることが少ない。

5、<今・ここ>を生きて、効率よく仕事ができる。

6、非常に知足的であり、(+心の)バランスが取れており、寛容な心と忍耐心に溢れている。というのも、あなたは完全に、己の心境をコントロールできるが故に。

7、脳(ロジックの中心)と心(情感の中心)は相互に連結されており、調和がとれている感じと、バランス感に優れている。

★完全には定から出ていない者の状況

(一)結行の修習の時、あなたは修行の目標、たとえば禅相を、手放そうとするのだが、しかし、心はそれを、手放せない。

あなたは禅相を手放すことに努力したとしても、禅相は、依然として、戻ってくる。

この時、心はコントロールされておらず、不断に「定」に落ち込む。

あなたはエネルギーが依然としてあなたの頭部において「氾濫」しているという感じがする。

あなたは、あなたの心が「その他の次元」にとどまっているような感じがし、通常の境界に戻ってはいない気がする。

(二)次回座禅・瞑想する時、あなたは己の心を見つけることができない。

これは一種の奇妙な感覚である。

あなたは、引き続き修行するエネルギーがないことを、感じる。

(三)日常生活の中で、あなたは以下のように感じる:

1、心の阻害、凍結があり、「平和」と「静けさ」のように見えるような場所に、囚われている感じがする。

2、頸部の硬直、肩のこり、頭痛、体力の消耗が見られる。

3、心は正確に思考することができない。

特に、微細なテーマの計算、分析、理解ができない。

4、心は、外部の目標を感受できない事さえあり、疎遠感が生じる。

5、心ここにあらず、身体はここにあって、心は別の所にある。故に、効率よく仕事をすることができない。

6、怒り易く、感情的になる。

というのも、あなたは己の心を、コントロールできていないから。

7、脳(ロジックの中心)と心(情感の中心)が分離しており、茫漠とした感じや、二重人格の感覚がある。

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-26につづく)

Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。 

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>