(訳者註:以下は、原文では表になっていますが、hatenaで表は作成できないので、箇条書きとします)。
★完全に出定した者の状況
(一)結行を修習する時、ある種の人々は、エネルギーが戻ってきた感覚を持つ。
彼らは「心が戻ってきた」と感じ、それを「正常である」とも、確実で実際的である、とも感じる。
彼らの心は、完全に日常のレベルに戻ることに、満足する。
(二)次回、座禅・瞑想をする時、あなたはあなたの業処を、簡単に修行することができる。
というのも、あなたはすでに、己の心を感受しているから。
あなたは、再度、元気よく修行することが出来る事を感じている。
(三)日常生活の中で、あなたは以下のように感じる:
1、心内の平和、静けさ。
2、身体における体力、活力の復活。
3、心の明晰、鋭敏。
4、心は外部の要素によって干渉されたり、影響を受けることが少ない。
5、<今・ここ>を生きて、効率よく仕事ができる。
6、非常に知足的であり、(+心の)バランスが取れており、寛容な心と忍耐心に溢れている。というのも、あなたは完全に、己の心境をコントロールできるが故に。
7、脳(ロジックの中心)と心(情感の中心)は相互に連結されており、調和がとれている感じと、バランス感に優れている。
★完全には定から出ていない者の状況
(一)結行の修習の時、あなたは修行の目標、たとえば禅相を、手放そうとするのだが、しかし、心はそれを、手放せない。
あなたは禅相を手放すことに努力したとしても、禅相は、依然として、戻ってくる。
この時、心はコントロールされておらず、不断に「定」に落ち込む。
あなたはエネルギーが依然としてあなたの頭部において「氾濫」しているという感じがする。
あなたは、あなたの心が「その他の次元」にとどまっているような感じがし、通常の境界に戻ってはいない気がする。
(二)次回座禅・瞑想する時、あなたは己の心を見つけることができない。
これは一種の奇妙な感覚である。
あなたは、引き続き修行するエネルギーがないことを、感じる。
(三)日常生活の中で、あなたは以下のように感じる:
1、心の阻害、凍結があり、「平和」と「静けさ」のように見えるような場所に、囚われている感じがする。
2、頸部の硬直、肩のこり、頭痛、体力の消耗が見られる。
3、心は正確に思考することができない。
特に、微細なテーマの計算、分析、理解ができない。
4、心は、外部の目標を感受できない事さえあり、疎遠感が生じる。
5、心ここにあらず、身体はここにあって、心は別の所にある。故に、効率よく仕事をすることができない。
6、怒り易く、感情的になる。
というのも、あなたは己の心を、コントロールできていないから。
7、脳(ロジックの中心)と心(情感の中心)が分離しており、茫漠とした感じや、二重人格の感覚がある。
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(2-26につづく)
Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>