<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>
比丘たちよ。
もし、ある人が、小さな焚火を大きくしたいと考えたとする。
もし彼が、湿った草、湿った牛糞や湿った木材を火に投げ入れ、水を掛け、その上に砂を撒くならば、彼はこの小さな焚火を、猛烈に、大きくすることができるだろうか?」
「できません、尊者。」
「同様に、比丘たちよ。
心が軟弱に無力であるとき、それは軽安覚支、定覚支と捨覚支を強化する時ではない。
なぜであるか?
比丘たちよ。
心が軟弱で無力であれば、それらの覚支で心を奮い立たせることは、非常に難しいが故に。
比丘たちよ。
心が軟弱に無力であるとき、その時は、択法覚支、精進覚支と喜覚支を強化するのである。
なぜであるか?
比丘たちよ。
心が軟弱で無力であれば、それらの覚支で、心を奮い立たせることは、非常に簡単であるが故に。
比丘たちよ。
もし、ある人が、小さな焚火を大きくしたいと考えたとする。
もし、彼が、乾いた草、乾いた牛糞や乾いた木材を火に投げ入れ、息を吹きかけ、その上に砂を撒く事がないならば、彼はこの小さな焚火を猛烈に、大きくすることができるだろうか?」
「はい、できます、尊者。」
「同様に、心が軟弱で無力の時、それは択法覚支、精進覚支と喜覚支を強化する時である。
なぜであるか?
比丘たちよ。
心が軟弱で無力の時、それらの覚支で、心を非常に容易に奮い立たせることができるからである。」(5-53につづく)
<Mama puññabhgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。(5-53につづく)
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>