パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-58
<Idaṃ me puññaṃ nibbānassa paccayo hotu>
随喜の言葉を述べた後、樹神は言った:
「尊者、あなた様のような聖者に食物を供養した後、あの老婦人は、一切の苦から解脱するでしょう。」
長老は立ちあがって、扉を開けて外を見ると、時刻はいまだ相当に早く、故に彼は、袈裟を着て、鉢を持って、托鉢のために村に入った。
すでに、美味なる食事を準備してあった少女は、戸口に座って思った:
「私のお兄さんは、もうすぐ来るわ。」
長老が到着した時、彼女は長老から鉢を受け取り、バターと砂糖をまぶした乳飯を鉢の中に入れ、その後に、鉢を長老の手に返した。
長老は随喜の言葉「あなたが楽しくあるように願っています」と述べ終わると、そこを去って行った。
少女は立ったまま、彼が立ち去るのを見ていたが、その時、長老の顔は、非常に明るく輝いており、五根は特別に清浄で、顔は柄から離れた、成熟した棕櫚の実のように輝いていた(+のを見た)。
少女の母親が森から帰ってきた時、彼女は訊ねた:
「いとしい娘よ。あなたのお兄さんは来ましたか?」
少女は、すべての事柄を母親に伝えた。
当該の大施主は、子の出家生活が、その日に頂点に到達したことを知り、言った:
「いとしい娘よ。あなたのお兄さんは、仏陀の教えを楽しんでいて、何等の不満もない。」
このように、施主に大果報を齎したいと思惟し、托鉢の食を受け取るに相応しい人になるよう思惟する者には、精進覚支が生起する。
導師の偉大さを思惟する
もし、人が、導師(仏陀)の偉大さを思惟する時、以下のように思う:「私の導師は、確実に偉大であり、私の導師が受胎する時、出家する時、開悟する時、初転法輪の時、双神変を顕現した時、33天から降りてきて、命を懸けて行を行い、大般涅槃された時、一万個の世界は、すべて、震動した。このような偉大な導師の教えの下で出家しているのに、私は怠惰であっていいのだろうか?」と。
この時、精進覚支は生起する。
遺産の殊勝を思惟する
もし、人が遺産の殊勝を思惟する時、以下のように思う:
「仏陀が残された信、戒、慙、愧、多聞(究極法とその因を理解、了解する)、捨離と智慧という、この七つの聖なる宝蔵の遺産は、正に殊勝である。怠惰な人はそれを獲得することはできない。ちょうど悪い息子が父母から縁を切られて『これは私たちの息子ではない』と言われ、彼(悪い息子)は、何等の遺産も得ることができないのと同じように、怠惰な人は、聖なる宝蔵の遺産を受け取ることはできない。ただ、精進する人のみが、それらを獲得することができる。」この時、精進覚支は生起する。
(5-59につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>