☆「掌中の葉」(翻訳文)2-34
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
これらを除去した後、彼の心の中には、いまだ中等レベルの雑染がある。たとえば、欲望、憤怒、人(=他人及び自己)を傷つけたいという思いである。
熱心で、有能な比丘は、これらの思いを放棄し、駆逐し、廃止し、滅し取り除く。
これらを取り除いた後、彼の心には、いまだ微細なレベルの雑染がある。
たとえば、親族、故郷、名誉への思いである。熱心で、有能な比丘は、これらの思いを放棄し、駆逐し、廃止し、滅し取り除く。
これらを取り除いた後、彼の心には、いまだ法のレベルでの雑染がある。
彼の定は、いまだ安寧でも静かでもなく、殊勝でなく、軽安を得ていなく、一心に到達していないため、無理やり頑張るという心理状態でもって、(+定を)維持しなければならない。
しかしながら、あるレベルに到達すると、彼の心は内に向かって安住し、安定し、一心であり、専注する(+ことができる。)
こうして、彼の定は安寧で、静かで、殊勝で、軽安を獲得し、一心に到達し、無理やり頑張って(+定を)維持するということがない。
(2-35につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>