南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)2-38

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

しかしながら、このように修行を進めていったとして、彼らは往々にして、邪定を得ることになってしまう。

彼らが、正しい道を歩んで正定を得る前、彼らはすでに、それなりの時間を費やして、邪定を育成しており、また、いくばくかの時間を費やして、邪定を解かなければならない;

その後に、その半分の時間を使って正定とは何かを理解する為に、時間を使わなければならない;

その後に、再度時間をかけて、正定を育成する、という事になり、合計すると、多くの時間が必要になってくるのである。

(特に注意して頂きたいのは:邪定を解くのには、一定の時間が必要であるが、ある種の人々にとっては、邪定が齎す困惑を解くのは、大変に時間がかかる事である。

また、ある種の人々は、己の獲得したものが正定ではないことに、ずっと気が付くことがなく、そのため、それを訂正しようとも思わない。

この場合、彼らは一生かけても、正定を得ることはできないのである。)

己自身の、物事への実践方法を変えたいと思う人は、真正に仏陀が教えた教えを遵守して、「放下」を、己自身の修行の重点とするべきである。

このように実践すれば、彼らの修行は、絶対に非常に速く進歩し、かつ順調に進む。

彼らは、些かの時間を費やして己の性格・心理状態を修正して、正定とは何かを理解し、その後に、少しばかりの時間を使って正定を育成する。

彼らはそれほど多くない時間をもってして、正定を修習することができ、かつ心身に適切でない副作用を生じることもない。

利養(=利益を得たいと思う道)は一本の道、

涅槃の道はもう一つ別の道、

この道理を理解するならば、

仏陀の弟子である比丘は、

名望に喜楽することなかれ、

出離の修習に励むべし。

《法句経・第75偈》

(2-39につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>