<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
4、修行において、我々は、事物を蓄積したりしてはならないし、事物に執着する心を、蓄積してもならない。
そして、事物を放下し、負担(=背負っているもの)を放下するのを喜ぶ心を、育成しなければならない。
修行している時以外の時間、我々は、多くの責任ある事柄を担わねばならず、それはちょうど旅行鞄のようなものである。
しかし、修行している時は、これらの旅行鞄は、必要ないのである。
5、過去を放下するとは、あなたの仕事、家庭、承認、責任、経歴、子供時代の良いまたは悪い思い出等について、考えをめぐらさない事を意味する。あなたは、それらに対して、全く興味がないごとくに振る舞い、過去のすべての経験を放下する。
あなたが修行する時、あなたは一人の、歴史のない人になるのである。
6、もし、あなたがすべての歴史を放下するならば、我々はすべて、平等で、自在(+な存在)である(+ことが分かる)。
我々は、これらの、我々をして、制限を齎す所の心配、観念及び考えの中から、自分自身を解脱せしめるべきである。
というのも、これらの束縛は、我々をして、放下することを通して生じさせることのできる、穏やかさと安らぎ、静けさを育成できなくさせるからである。
7、未来、予期、恐怖、計画、期待ーーこれらも、すべて放下すること。
仏陀は、未来について語った事があるが、彼はこう言った:
「あなたが、状況がどのように変化するかと考えたとしても、通常、そのようにはならないものだ。」
智者は、未来は不確定で、不可知で、予測不可能であることを知っている。未来を予測することは、通常、非常に愚かなことであり、特に、修行中に未来の事柄について考えを巡らすことは、貴重な時間を浪費するだけのもの、なのである。
8、あなたが知り得るのは、<今・ここ>における時間ーーすなわち現在!だけである。
このようにして、あなたは美妙なる寺院的時間の尺度に到達する。この時間的尺度の中においては、あなたはただ
<今・ここ>において修行し、何分たったか、後何分残っているかを、気にすることはないだけでなく、今日の曜日さえ知らないでいるだろう。
9、この種の、時間を超越した領域の中で、あなたは
<今・ここ>を体験する。ちょうど、数千年来の、すべての智者が体験したのと同じ<今・ここ>を。
それは永遠にそのようであり、差別(=異なること)はない。
あなたはすでに「現在」の領域に進入したのである。
しかしながら、我々は一つの事柄を付け加えたいと思う:「私は今、修行したい」という、現在への執着さえも、放下しなければならない。
我々は、・・・が欲しい、・・・がしたい、などという、自然に逆らったこの種の「現在」・・・たとえば、「私はこういう事をしなければならない」「私はああいうことをしなければならない」という思いを、放下しなければならないのである。
なぜ、あなたは、あなたの心を、自在に、自然のままに、なさしめておかないのか?
◆結論:
修行の要点は、三つの方面における放下である:
(一)過去の歴史を放下する。
(二)未来への期待を放下する。
(三)現在への執着を放下する:すなわち「私は修行したい」という想いを手放すのである。
(2-41につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>