<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
そして、更に重要な事は、良い教師なら、あなたが最終的に、真正なる定を獲得することができるように、あなたに対して、正しい心構えでもって定の要因(定の修習)を育成するべきであることを、教えるであろう。
上述の経文は、我々に対して、完全に放下する精神でもって、定の要因(定の修習)を育成するよう、促している。
(一)我々は、放下の精神でもって、愉快、喜悦、軽安、快楽というこれらの要因を育成するべきであり、我々は決して、定への強烈な渇望を伴う心境でもって、定の修習を実践してはならない。
(二)我々は、仏陀が経文の中で、何度も強調して述べている二つの言葉に対して、確信を持たねばならない:
1、「このような願いを生起させる必要は無い」;
2、「当然・自然にできる」。
(三)これは非常に美しい定の修習における心構えであり、正確な要因によって修行・実践できるだけでなく、リラックスした、無理やり求める気持ちの無い心境において、これらの要因を育成することができる。
これら(+の心的状況)は、愉快、喜悦、軽安、快楽というこれらの要因を、自然に強化・成長させることができる。
ある日、これらの要因が熟した時、何等の努力を必要としない状況の下で、それは生じるであろう。
(四)「(一つの)の法の流れから(もう一つ別の)法へ」の意味・・・我々は、定における正確な要素を育成する必要がある、という事である。
このようにすることによって、あなたは初めて、定の近くへと進むことができる。
我々は、更に多くの「懊悩なく、愉快で、喜悦に満ち、軽安で、快楽(=楽しい)」を育成することのできる方法を発見・発掘し、実践しなければならない。
(五)「(一つの)法の円満(+成就)から、(もう一つの別の)法の円満(+成就)」の意味は、放下がすなわち、定の要素(定の修習)を育成するにおいて、最も重要な原則である、ということである。
◆結論
(一)我々は、更に多くの、良くて巧みな方法を育成することを通して、愉快、喜悦、軽安、快楽を啓発し、定を得る様に、実践しなければならない。
(二)更に重要な事は、我々は、放下の精神で以て、定の要素(定の修習)を育成しなければならない。
(三)定の要素(定の修習)を育成するにおいて、我々は、仏陀が強調した二つの点に関して、確信を有するべきである:
1、「このような願いを生起させる必要は無い」--結果を期待しない。
2、「当然・自然にできる」ーー要因の成熟に伴って結果は自然とあなたの元に届けられる。
(3-1につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>