Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

是誰庵のひとやすみ~覓食難(mi・shi・nan)

中国語の仏教書を翻訳していて、よく「覓食難(mi・shi・nan)」という言葉に出くわします。

輪廻から解脱したいと願う理由は、基本的には四聖諦で決まりですが、凡夫としての具体的実感として、この「覓食難」は言いえて妙だと思います。

その直接的な意味は、食べ物を探し求める事の困難性、です。

たとえば、身近なことで言えば、我々は生きものの命を頂戴しなければ、日々の命を繋ぐことはできません。

また、命を繋ぐために食物を買う、身を守るための家を買う、衣類を買う・・・これらの事柄のために、我々は身を粉にして働き、心の余裕を失い、ストレス満開、しないでもいい喧嘩をしたりして暮らしているのではないでしょうか?

先日ある会合で、「早く輪廻を終わらせるためには、修行をしっかりしたい。そのために来世は、仏道修行の盛んな東南アジアに生まれたい」と発言しましたら、「東南アジアに生まれても、良い師に恵まれるとは限らない」「それよりも、弥勒菩薩のいる兜率天に生まれるのが良い」と教わりました。

弥勒菩薩は、兜率天の内院にいらして、仏法を教えているそうで、定(サマーディ)のある人は、行ける・・・ただし、兜率天には外院があって、そこでは仏法を教えてもらえないそうで、要注意!(笑)。

五蘊が空~無常・苦・無我であることを悟るにも定が必要、兜率天に行くのにも、定が必要。

放下(fang・xia)、手放して手放して、定に入る修行に励む。定が齎す幸せは、俗世にも有効、出世間にも有効。

朝夕の瞑想を欠かさず・・・きっと、いいことありますよ!(笑)。