<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
多くの修行者は、よくこのような質問をする:
「私は多くの先生から学んだ方がよいのか、それとも、ただ一人の先生から学んだ方がいいのか?」
その答えは:
「初心の修行者は、優秀な、一人の先生につくのがよい。この先生から、止禅と観禅に関するすべての奥深い要点を学んだあと、次には、あなたは多くの先生に従って学んでよい。」
どうしてか?
というのも、同じ事柄に対して、それぞれの先生は、ある時には、異なる方法と異なる進め方を教えるからである。
ある時には、彼らが話す内容は、まったく相矛盾しているように聞こえるが、しかし、実際には、彼らが話している道理は、本質的には同じである。
ただ、それら(=仏教的真理)に対して、真反対の道筋から、切り込んでいるから、なのである。
こうしたことから、混乱を避けるために、修行者は、一番最初の段階においては、優秀な一人の先生から学ぶのがよい。
(3-3につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>