南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-66

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(七)心がすでに正しい行道(進むべき道)に進んでいて、不軟弱、不動揺、不沮喪であり、かつ、禅の修行が順調に進んでいて、軽安の道に進入している時、当該の心に対して、彼は策励も、抑制もすることなく、また心をして、喜悦させることもない。

それはちょうど、馬車の御者が、順調に前に向かって走っている馬に対して、傍観し、干渉しないのと同じである。

(八)近行定または安止定に到達しておらず、かつ、心が散乱している人に近づかない、事を意味する。

(九)すでに近行定または安止定に到達した人と親しむ事。

(十)初禅またはその他のジャーナを思惟する。これらのジャーナ自体は、解脱である。

というのも、それらは、それらと対抗する法から解脱しているから。

以下のように思惟する:

「これは禅の修行である、このようにジャーナに入る、ジャーナに入る時間、定から出る時間を決意し、これはそれの不浄である、これはそれの清浄である(+と知る)。」

(十一)行(=歩く)住(=立ち止まる)、座、臥(=横になる)などの一切の姿勢と動作のうちにおいて、心をして定覚支の育成に向かわせる。  

(5-67につづく)

       <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>