南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-6

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

 これは非常に重要な点である。

ここで、ただ自ら証悟しただけでは、あなたは、よい教師にはなれない、と言っている事は、すなわち、あなたは、あなたと同じ道を歩む学生しか導けないから、というのがその理由である。

しかしながら、一人の教師が、止禅の理論を深く研究し、かつ、豊富な教学の経験を積んだ後でなら、彼は、異なる性質の学生に対して、進むべき異なる道を指し示すことができる。

故に、《清浄道論》では、「(博学の者は)業処を説明できるし、また、(+進むべき)大きな道も、指し示すことができる」というのである。

言い換えれば、教師とは、非常に、善くて巧みでなくてはならないが、では、善くて巧みとは何であるか?

善くて巧みには二つの種類がある:

1、彼の指し示す指導内容。

2、質問に対する、彼の回答と説明。

(3-7につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>