南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

パオ・セヤドー講述「顕正法蔵」(翻訳文)5-70

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>

(三)衆生と物を偏愛する人から遠く離れる:

(甲)衆生に対して偏愛する人とは、己の子女など、俗世の家族を非常に愛惜する人をいう。

また、己の弟子、友人、戒師などなどを非常に愛惜する出家者も含む。

この種の出家者は、己が愛惜する人に対して、色々なことを実践する。

たとえば、剃髪、袈裟の繕い、袈裟の洗濯、袈裟の染色、鉢の乾燥などなど、である。

ほんの一時でも自分の愛惜する人を見かけないと、彼らは惑乱した鹿のように、四方八方探し回り、尋ねる:

「某沙弥は、どこにいる?」または

「某比丘はどこにいる?」

もし、誰かが彼に「その人を、私の所へよこしてもらいたい、我々が剃髪するのを手伝って欲しいのだが」と言うと、彼はそれを拒絶し、かつ以下のように言う:

「我々は彼に自分の仕事さえさせないのに、もしあなたが彼を連れて行ったならば、彼を疲れさせることになるではないか。」

(乙)「物を偏愛する人」とは、袈裟、鉢、容器、杖、棒などを非常に愛惜し、他人に少しでも触らせようとしない人を言う。

人が彼に何かを貸してほしいと頼むと、彼は以下のように言う:「己自身さえ使うのをもったいないと思っているのに、どうしてあなたに貸すことができようか?」

この、二者に執着しない人を「(+何事にも)平等に対応し、衆生にも物にも執着しない人」という。衆生と物に偏愛する人から遠く離れる事は、捨覚支を策励させることができる。

(四)捨覚支は、(+何事にも)平等に対応し、衆生にも物にも執着しない人に親しむ者に生起する。

(五)捨覚支は、行、住、坐、臥の一切の姿勢と動作において常に、心をして捨覚支を育成しようと傾向する人に生起する。

こうしたことから分かるように、これらの方法によって、これらの法を励起せしめることを通して、彼は、軽安、定と捨という、この三種類の覚支を育成する。

これが、心がコントロールされるべき時にどのようにしてコントロールするのかという(+ことの説明である)。

次に私は、「10種類の安止(+定)に関する、善くて巧みな(+方法)」に関する、「心は如何にして、策励を受けるべき時に策励を受けるか」などについて述べたい。

(5-71につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ

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<パオ・セヤドー「顕正法蔵」2008年中国語版→日本語訳出 

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>