子供のころ、日本や中国の禅僧が、ひなびた田舎の陋屋に住んで、花鳥風月を愛で、己の境地を詩文にして認めているのを読んで、ちょっとした反発心を持ち、また、不思議にも思っていました。
それって現実逃避じゃないの?花鳥風月を愛でたって、世の中、ちっとも良くはならないわ、それより、社会悪に切り込まなくっちゃ、と・・・。
でも、昨今の世の中の出来事を見ていると、彼らの気持ちが痛いほど、よく分かります。歪んだ欲望が巻き起こす騒々しい悲喜劇、本当にうんざりします
そして、2500年前にゴータマ仏陀が言ったように、人々の歪んだ欲望は、今に至るまでも、止まる所を知らないし、これからも止まる事などないかのよう。
先日単眼鏡を買いました(古い双眼鏡があったのですが、どうも、左右の目の焦点を合わせるのが難しい)。
自宅のベランダの先に電線があって、そこによく野鳥が止まって、綺麗な声で囀るので、何の鳥なのか、しっかり観察したくて・・・オハナと一緒に、裏山で鳴いている小鳥の観察をしてもいいし、夜空の星々を覗いてみてもいいし。
鉢植えのお花は最近ようやく、手入れの仕方が分かってきました。
熱帯の、水が好きな植物でも、いつもダブダブ水やりするのではなくて、霧吹きで吹いてあげるのが良いとか、お花それぞれの個性も見れるようになってきました。
花鳥風月・・・ただの逃避じゃなかったんだな、としみじみ共感するこの頃です。