<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
2、修行とは、我々が想像しているような、そのような簡単なものではない。
書物はただ単に、一般的な指導方針を提供しているに過ぎない。
一たび、我々が実際に修行を開始すると、非常に多くの、複雑な問題に遭遇する。
これらの問題は、ただ単に、本に書いてある知識を頼りに解決できるものではなく、良き師に助けてもらいながら、解決しなければならないものである。
故に、非常に良い本であっても、良師の代わりにはなりえない。
これが、なぜ、色々な仕事・業種において成功したいのであれば、必ずや、本からでは学べない各種の技能を、高名な師の下において、その学生となって学ばなければならないのか、という理由である。
3、古の人は言う:
「欲知山上路、須問過来人(=山の奥の道を知りたければ、その道を通って来た人に問え)」
良師に従って学ぶことは、あなたに多くの時間の節約を齎す。あなたの教師自身が、多くの間違いを経験してきており、多くの困難を克服してきているが故に、もうすでに解決策がある陳腐な問題に関しては、あなたは自ら、改めて解決方法などを研究する必要は、ない。
その上、あなたが真剣に学ぶならば、あなたは多くの、不必要な混乱から解放されることができる。(3-11につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>