<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
3、痴行意楽者:私は心底、善を行い、禅の修行を実践し、その後に悟りたいと思う。
原因:仏法を聞いた後、あなたはようやく、証悟に対する、善行の種を蒔く事の重要性を認識することができた。
故に、あなたは積善をしようとする。
あなたは善を行い、禅の修行に取り組み、毎日祈願する。このことは、初学者にとっては正しい実践である。しかし、日が経つにつれて、あなたは、これらの実践は、ただただ、一切の因縁法を超越する方法に過ぎないのだという事を、忘れてしまう。
時に、あなたは、あまりの忙しさに禅の修行を忘れてしまう事があるが、あなたは禅の修行にあまりに執着しすぎているため、そのことで、過剰に己自身を責めたりする。
また、あなたが非常に多くの善行為をなした時、あなたは善行為に執着する余りに、あなたはそれを自慢するだけでなく、傲慢にさえなるのである。
あなたはこれら一切の善行ーー諸々の布施、持戒、禅の修行などの善法ーーもまた、いつの日にか、一切の因縁法を超越せんがための、蓄積に過ぎない事を、忘れてしまう。
これが、痴(=愚かさと無知)を含む意楽(痴行意楽)である。
(3-29につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>