Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-29

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

無痴意楽者:私はこれらの善行と禅の修行を通して、何時の日にか、一切の善を超越し、涅槃を体験したいと思う。

原因:悪業を為さないという事と、積極的に善行をなせという教え以外に、一人の智慧ある人間は、心を浄化する教えも、聞聴しなければならない。

愚かで無知である事の禍と、法に対する強烈な執着を取り除く為に、我々は、法もまた筏の一種である事を、理解しなければならない。

我々は、この筏に乗って、怒涛渦巻く輪廻の海を渡り、彼岸に到達しなければならない。

(+仏道の実践を)始めたばかりの頃、あなたはいまだ、無明を具し、強烈な信念でもって、一切の任務を履行しようとする。

しかしながら、あなたの智慧が育った後では、たとえ、時には禅の修行ができない場合があったとしても、歓喜(=嬉しさ)と清明な心を保持していさえすれば、あなたは、益々目標に近づいているのだ、ということを理解する!

ただ、あなたが因縁法または有為法(善法も含む)に執着しない時にだけ、あなたは徐々に、因縁法を超越する事ができるのである。

故に、あなたは正しい心性をもって、修行しなければならず、法もまた、証悟の方法にすぎず、法そのものは、証悟ではないことを、理解しなければならない。

修行に精進することは重要ではあるが、法には執着しない事。証悟に執着しない、正しい心性もまた、同等に重要である。

法に対する執着はまた、証悟への障礙となる。

あなたは、涅槃へと向かいたいのであれば、一切の執着を捨てなければならないが、それは、仏法自体にも執着してはならいという事を、含むのである。

このような正しい見解を具備する意楽が、無痴意楽である。(3-30につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>まで。

ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>