<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
独居意楽者:更に多くの時間を、深く生命現象の観照に打ち込んで証悟を得るために、私は静かな場所で、独居したいと思う。
原因:他人を理解して支援する事は、増上行の重要な基礎となる。一般的に、このことを理解した上で、人は修行の道において、誠心誠意、他人を支援し始める。
この基礎が完成した所において、智慧ある人は、慈悲行における純粋な実践が、最終的な解脱を齎すことは、ないと知る。
衆生の色々な願望を、絶え間なく叶えてあげる事は、彼らを助ける最終的な方法でもない。
在家の禍を見る;
この種の、群衆に奉仕しようとする社会的責任は、(+その上限がなく)止まることを知らないのである。
命は短い;
証悟の道は、容易ではない。
我々は、今、群衆から離れて、定力を育成しなければならない時である。
我々は、(+心)静かになって、更に高度な、真実なる法を透視(=徹底的に見る)しなければならない。。
もうすぐ究極なる円満者(仏陀)になろうとしていた菩薩でさえも、王宮や、彼に仕える五人の比丘から離れて、独居の力を借りて、仏果を証得するより他なかったのであるから、では、あなたなら?
独居とは、私にとって、更に高度な定・慧と求めるためであり、証悟を得るための方法でもある。
これが独居の意楽である。
(3-33につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>まで。
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>