Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)3-40

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

次に、もし、あなたが仏陀より、自分の方がましであると信じているならば、あなたは通常、自身が持つ枠から、飛び出すことは、非常に困難である。というのも、我々の生命は、自分自身の思想と信念の影響を、深く受けるからである。

凡夫の身である我々にとって、一切の世俗の享楽を放棄することは、非常に難しい。

我々は、いくらかの正見を持つことはできるけれども、しかし、貪・瞋・痴の煩悩は、已然として強く盛っている。

もし、あなたが、一般の人々と付き合うならば、あなたは古い悪習を再び始めたりする。

たとえば、飲酒、賭博、(+知人と)やたらに交わったりするようになる。これらは、ただ、時に即してはいても、しかし、不善な快楽(=楽しみ)しか齎らさない。

唯一、我々が、仏陀の教えに堅固に従い、かつ全力で仏世尊に心を傾ける時にのみ、我々は、誘惑、神秘、幻象が充満した、空虚・空洞なる、この欲界から抜け出すことができる。

そうでなければ、あなたは非常に易々と、再び、不善の中に沈潜してしまうのである。

◆結論:

自身を世尊に捧げる利益とは;

1、あなたが人のいない僻地で、身の毛もよだつ恐ろしい事態に出会った時、あなたは恐怖心を取り除くことができる。

2、世尊への信心(=信頼)は、その他の一切の善法を強化・発展させる事ができる。

3、一切の世俗の享楽からの誘惑を、超越することができる。(3-40につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、<菩提樹文庫>

まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>