南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-18

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

普遍適用業処(=普遍的に適用される業処)

あなたの性行を観察し、あなたの過去の修行(+の様子)を知った後、教師は、あなたに対して、個人的に適合する特別業処(=特別な業処)を与えることができる。

しかしながら、通常、教師は大多数の学生の基礎が強固でない事を発見する。故に、彼はまた、あなたに対して、たとえば、慈心禅や仏随念などの、普遍的な適用業処を、与えることもある。

どうして、教師はこのようにするのであるか?

《増支部・11法集・第10経》の中で、仏陀は、二種類の修行方法があると言う。

一番目は、軽率な定の修習方法であり、それは、修行者が貪欲、瞋恚、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑の束縛の下で、定を修し、何度も定を修し、定の修習の反対の事柄を実践し、定の修習を間違えるのである。

仏陀は、この種の定の修習を、駄馬の定の修習方式であると言う:

「山達。駄馬の方式で定を修習するとは、どういうことか?

駄馬は、飼い葉桶の側に括りつけられると、彼はこのように定の修習をする:『餌だ!餌だ!』。

どうしてか?

というのも、彼は:『今日は、御者は、私に何をさせようとするだろうか?私はどのようにして、彼に復命するべきか?』と考える事はなく、駄馬が、飼い葉桶の側に括りつけられると、彼はただこのように定の修習をする:『餌だ!餌だ!』」

「同様に、駄馬と似た人々が、林野、木の下、または空き地に行く。彼の心は貪欲に束縛されており、貪欲に飲み込まれており、(+故に)既に生起している貪欲から、(如何にすれば)離脱できるのかを、如実に知見することができない。

内心の貪欲を強化し成長させ、彼は定を修習し、何度も定を修習し、定の修習と反対の事柄を実践し、定の修習を間違えてしまう・・・」

「彼の心は瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑によって束縛されており、瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑に飲み込まれており、すでに生起した瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑から(如何にすれば)離脱できるのかを、如実に知見することができない。彼は、内心の瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑を強化し成長させ、彼は定を修習し、何度も定を修習し、定の修習と反対のことをし、定の修習を間違えてしまう・・・山達、これはまさに、駄馬に似た人が、定を修習する時の様子である」

(4-19につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>