<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
普遍適用業処(=普遍的に適用される業処)
あなたの性行を観察し、あなたの過去の修行(+の様子)を知った後、教師は、あなたに対して、個人的に適合する特別業処(=特別な業処)を与えることができる。
しかしながら、通常、教師は大多数の学生の基礎が強固でない事を発見する。故に、彼はまた、あなたに対して、たとえば、慈心禅や仏随念などの、普遍的な適用業処を、与えることもある。
どうして、教師はこのようにするのであるか?
《増支部・11法集・第10経》の中で、仏陀は、二種類の修行方法があると言う。
一番目は、軽率な定の修習方法であり、それは、修行者が貪欲、瞋恚、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑の束縛の下で、定を修し、何度も定を修し、定の修習の反対の事柄を実践し、定の修習を間違えるのである。
仏陀は、この種の定の修習を、駄馬の定の修習方式であると言う:
「山達。駄馬の方式で定を修習するとは、どういうことか?
駄馬は、飼い葉桶の側に括りつけられると、彼はこのように定の修習をする:『餌だ!餌だ!』。
どうしてか?
というのも、彼は:『今日は、御者は、私に何をさせようとするだろうか?私はどのようにして、彼に復命するべきか?』と考える事はなく、駄馬が、飼い葉桶の側に括りつけられると、彼はただこのように定の修習をする:『餌だ!餌だ!』」
「同様に、駄馬と似た人々が、林野、木の下、または空き地に行く。彼の心は貪欲に束縛されており、貪欲に飲み込まれており、(+故に)既に生起している貪欲から、(如何にすれば)離脱できるのかを、如実に知見することができない。
内心の貪欲を強化し成長させ、彼は定を修習し、何度も定を修習し、定の修習と反対の事柄を実践し、定の修習を間違えてしまう・・・」
「彼の心は瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑によって束縛されており、瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑に飲み込まれており、すでに生起した瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑から(如何にすれば)離脱できるのかを、如実に知見することができない。彼は、内心の瞋恚と怨恨、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑を強化し成長させ、彼は定を修習し、何度も定を修習し、定の修習と反対のことをし、定の修習を間違えてしまう・・・山達、これはまさに、駄馬に似た人が、定を修習する時の様子である」
(4-19につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>