<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
仏陀は、二番目の定の修習方式を、良馬の定の修習方式だ、と言った。
仏陀は山達比丘に言う:
「山達。良馬の方式でもって、定の修習をなせ。決して、駄馬の方式で、定の修習をしてはならない。」
「山達。何が、良馬の定の修習の方式か?
良馬は、飼い葉桶の側に括られる時、彼はこのようには、定の修習をしない:『餌だ!餌だ!』
どうしてか?
というのも、彼はこのように考える:
『今日、御者は、私に何をさせるだろうか?私はどのように、復命するべきだろうか?』
・・・というのも、良馬は、棘の付いたこん棒で叩かれる事は、債務、束縛、損失、不幸であると考えるから。」
「同様に、良馬のような人は、林野、木の下、または空き地に行く。彼の心は貪欲に束縛される事なく、貪欲に飲み込まれる事なく、彼は、既に生起した貪欲から(如何にして)離脱できるかを、如実に知っている。」
「彼の心は、瞋恚、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑によって束縛される事がなく、瞋恚、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑に飲み込まれる事がなく、彼は、既に生起した瞋恚、昏沈、眠気、掉挙、後悔、懐疑から(如何にして)離脱できるかを、如実に知っている。」
(4-20につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は<菩提樹文庫>
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>