Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

☆「掌中の葉」(翻訳文)4-22

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

慈心禅

【方法】一切の衆生が危難から遠離し、精神の苦痛から遠離し、身体の苦痛から遠離し、かつ健康で楽しくあるように、祝福する。

  願我遠離危難

  願我遠離精神的痛苦

  願我遠離身体的痛苦

  願我健康快楽(=楽しい事)

 

親愛なる人:たとえば、父母、兄弟姉妹、親友、友人。

好悪の感情のない人;たとえば、道行く人。

嫌な人

にもまた、上記のように、祝福し、願う。

 

  願東方的一切衆生遠離危難

  願東方的一切衆生遠離精神的痛苦

  願東方的一切衆生遠離身体的痛苦

  願東方的一切衆生健康快楽

 願南方、西方、北方、上方、下方

  

  願一切衆生遠離危難

  願一切衆生遠離精神的痛苦

  願一切衆生遠離身体的痛苦

  願一切衆生健康快楽!

 

●慈心とは、一種の感覚であり、一種の柔和でかつ真心における内部感覚である;

文字は「慈心の感覚」を啓発するための、一種の道具である。

●しかしながら、非常に多くの人々は、このことを忘れ疎かにし、慈心禅を修行する時、口内には、念ずるべき言葉が常にあるが、心の中では、まったく一筋程の(+慈しみの)感覚をも、持っていない。

このようであっては、慈心の境地に至ることは、できない。

●慈心は、一種の、言語を超越した感受であり、何かの「物」ではない。欲する事はできても、求める事はできないのである。

●慈心禅の修習:

ーー慈心の感覚が得られるかどうか、心配する必要は無いーー始めたばかりの時は、少しばかりの感覚しかない場合があるが、それで十分である。滴水は、石をも穿つ!を覚えておけばよい。

ーー慈心を発する方式が正しいかどうか、心配する必要は無いーー世の中には標準的な「愛の方程式」は無い。心があれば大丈夫!

ーー一文字も漏らさず(+経典に書かれた秘訣・文章を)読誦することができるかどうか、心配する必要は無い。

ーー上記秘訣・文章は、我々が慈心を啓発するために借用する「道具」に過ぎない。

さぁ、文字に拘らないで!

リラックスして!

(4-23につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。

<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>