<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
慈心禅
【方法】一切の衆生が危難から遠離し、精神の苦痛から遠離し、身体の苦痛から遠離し、かつ健康で楽しくあるように、祝福する。
願我遠離危難
願我遠離精神的痛苦
願我遠離身体的痛苦
願我健康快楽(=楽しい事)
親愛なる人:たとえば、父母、兄弟姉妹、親友、友人。
好悪の感情のない人;たとえば、道行く人。
嫌な人
にもまた、上記のように、祝福し、願う。
願東方的一切衆生遠離危難
願東方的一切衆生遠離精神的痛苦
願東方的一切衆生遠離身体的痛苦
願東方的一切衆生健康快楽
願南方、西方、北方、上方、下方
願一切衆生遠離危難
願一切衆生遠離精神的痛苦
願一切衆生遠離身体的痛苦
願一切衆生健康快楽!
●慈心とは、一種の感覚であり、一種の柔和でかつ真心における内部感覚である;
文字は「慈心の感覚」を啓発するための、一種の道具である。
●しかしながら、非常に多くの人々は、このことを忘れ疎かにし、慈心禅を修行する時、口内には、念ずるべき言葉が常にあるが、心の中では、まったく一筋程の(+慈しみの)感覚をも、持っていない。
このようであっては、慈心の境地に至ることは、できない。
●慈心は、一種の、言語を超越した感受であり、何かの「物」ではない。欲する事はできても、求める事はできないのである。
●慈心禅の修習:
ーー慈心の感覚が得られるかどうか、心配する必要は無いーー始めたばかりの時は、少しばかりの感覚しかない場合があるが、それで十分である。滴水は、石をも穿つ!を覚えておけばよい。
ーー慈心を発する方式が正しいかどうか、心配する必要は無いーー世の中には標準的な「愛の方程式」は無い。心があれば大丈夫!
ーー一文字も漏らさず(+経典に書かれた秘訣・文章を)読誦することができるかどうか、心配する必要は無い。
ーー上記秘訣・文章は、我々が慈心を啓発するために借用する「道具」に過ぎない。
さぁ、文字に拘らないで!
リラックスして!
(4-23につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>