<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(四)衆生(=信徒、門弟)
1、ここでいう衆生とは、経を学ぶ信徒または論を学ぶ門弟などを指す。
2、彼らを教えたり、彼らの質問に答えなければならない為に、彼(修行者)は、禅の修行をする時間がない。故に、信徒、門弟は、彼の障礙となる。
3、彼は以下の三種類の方法によって、障礙を突破しなければならない。
●もし、それらの生徒たちが、すでに大部分の課程を修了して、未だ学んでいない部分が少しであるならば、残りの部分を教えてから、森林に行って住む。
●彼らは少しばかりを学び、大部分をいまだ学んでいないのであれば、教学を、別の教師に代ってもらう。
●もし、代わりの教師を見つけられないならば、彼は、信徒・門弟を振り捨てて、去るべきである。
(五)業(=仕事)
1、仕事とは、新しく行う建築の事業を指す。
2、従業者は、大工などの、建築に従事するための(+人材と)材料が手に入ったかどうかを知る必要があるし、また、彼らが仕事をしているかどうか監督する必要もある。これら一切は、障礙である。
3、彼は以下の三種類の方法で、障礙を突破しなければならない。
●もし、少しばかりの仕事が残っている場合、それを完成させる。
●もし、大部分が残っているならば、サンガに頼むか、またはサンガの比丘の中から、責任者を選んで、仕事を引き受けてもらう。
●もし、上記のようにできないのであれば、己のすべての所有物をサンガに布施して、その後に去る。
(5-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>