<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(六)旅行
1、旅行とは、道を行くこと。
2、修行の期間に旅行を計画するのは、それがたとえ聖地への巡礼であっても、障礙になる。
3、(+修行者は)旅行をしたい、という考えを捨てるべきである。
(七)親戚
1、己の指導者、先生または父母が病気であることは、修行の障礙になる。
2、彼は彼らが治るまで、彼らを看護するべきである。そうすれば、障礙を取り除くことができる。
(八)病
1、どのような病気であっても、人を苦しめるが故に、障礙である。
2、故に、病気である時は、薬を飲んで、病気を治さなければならない。
3、若し、治療しても、長らく治癒しないのであれば、彼は己の身体に対して、以下のように考えるべきである:
「私はあなたの奴隷でもなければ、雇われ人でもない。あなたを養うために、私は止まるところをしらない輪廻の苦しみに落ち込んでいる!」と。そして、その後に、毅然として修行をする。
(九)読書
常々、修行と関係のない書籍を閲読する人は、読書は障礙になる。
(十)神通
1、神通は、観禅にとっては、障礙になり、定にとっては障礙にならない。というのも、神通は、定によって獲得されるが故に。
2、故に、修行によって、観智を完成させたい人は、神通を含む10の障礙を取りのぞき、断じる必要がある。禅定を完成させたいと思う人は、上記の9種類の障礙を、取り除かなければならない。
ここにおいて、我々は、最も初心者に適合する、もう一つの角度から、ものごとを見て行こうと思う。ある種の初心者は、神通を得たくて修行に参加する。
(5-5につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
<菩提樹文庫>まで。ご協力、よろしくお願いいたします。
<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>