<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
五蓋
ある種の人間についていえば、行道は艱難である。というのも、彼らは、五蓋などの、敵対的な状況の、頑強な対抗を受けるが故に。
《清浄道論・第三章・第15段》
五蓋(五種類の障礙)とジャーナは、互いに対立するものである。
もし、己自身の内心の五蓋が、いまだ除去できていないのであれば、障礙が生じて、心を浄化することはできないし、そのために、近行定と安止定に入ることができないし、徹底的に実相を見ることもできない。
五蓋とは、すなわち:
1、貪欲
2、瞋恚と恨み
3、昏沈と眠気
4、掉挙と後悔
5、懐疑
多くの修行者は、粗くて明らかな五蓋を覚知することができる。己自身の体験を通して、彼らは、五蓋を降伏してのち初めて、軽々と、自然に専注する事ができるようになることを理解する。
しかしながら、古参の修行者に関して言えば、この問題は、もう少し複雑な様相を呈している。
どのように複雑であるのか?
(5-7につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>