<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
過去のいくつかの不善な業力が、十分に強大である時、あなたは、一時的な力でもって、それを克服することは不可能である(+ことを知り)、その不善の果報がおのずと消耗されつくすまで、それを自然のままに、消耗させるしかない(+ことを知るべきである)。
このような状況の下では、無理に禅の修行をしてはならず、あなたはただ気晴らしをしたり、本を読んだり、または仏法について思いを巡らしたり、読経したり、三宝に対して懺悔したりするだけでよい。
これらの活動は、好ましい、正しい思惟を激発し、浄化の過程を加速することができる。
この過程は、一両日であったり、一週間であったり、二週間であったりする。
大切なことは、あなたが座禅・瞑想しても上手くいかない時、己自身が何か間違いを犯しているのではないかと考える必要はないという事である。
あなたの禅の修行方法は間違っていなくても、ただ、過去の悪業の力がまさに熟したために、負のエネルギーが生じて、あなたに影響を与えているのだ(+ということである。)
(5-10につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>