南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-12

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

これは、仏陀が成仏(=仏陀になる)する前に利用していた、修行方法である。

五蓋などの煩悩に対応する為、我々は、菩薩に学ぶべきである。

五蓋の生起、その直接的な導因は、不如理作意(明智のないまま、心がある目標に向かう事)である。

五蓋に対応する直接的な方法は、如理作意(明智でもって、心をある目標に向ける)である。

五蓋のうちの、どれか一つでも生起した時、それに対して覚知する事、これが如理作意である。

このようであるならば、五蓋は、暫定的に中断し、継続して生起する事はできなくなる。

たとえば:

心に貪欲が生起したのを発見したならば、即刻それを「貪欲、貪欲・・・」と覚知する。

所謂、共通の方法とは、それの存在を覚知することであり、(+覚知すれば)それは自然に消滅する。

我々は煩悩もまた虚妄であり、無常である事をよく知らなければならない。大多数の修行者にとって、彼らは謹厳にすぎ、煩悩を克服することに関して、過剰に、頑なになりすぎているが、このようにするのは、煩悩をして、かえって悪化させるものである。

無常の法は、誰も否定することができない。

あなたはそれの存在を否定してはならないし、また、それが永遠に存在するなどと、考えてもいけない。

あなたの心の中に生起した煩悩もまた、無常なものであり、生起した後に消滅するのであり、ずっとあなたの心の中に居座る訳ではない。

それなのに、なぜ、あなたは、時には存在し、時には存在しない、そのような煩悩を、焦り、慌てふためいて取り除こうとするのだろうか?

世間の凡夫の主要な問題点は、煩悩を煩悩として覚知しないことにあり、もし、ひとたびそれを覚知したならば、通常それは、自然に消失するのである。

◆結論:

五蓋・煩悩の共通の対応法:

(一)煩悩の生起を覚知する。

(二)煩悩は虚妄であり、無常であると、確信する。

(三)煩悩を覚知すれば、煩悩は自然と消失する。

(5-13につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>