南伝仏教のDhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。尚、修行については必ず経験豊富な正師について下さるようお願いします。

☆「掌中の葉」(翻訳文)5-16

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

2、一人一人は、己自身が造りし業の果報の受取人であることを思惟する

我々は、悪人に対して、瞋恚と怒りの心を、生起させる必要はない。

悪人はおのずから、法律の裁きを受けるし、また、未来においては、苦痛の果報を受け取ることになるのであるから。

そして、我々もまた、己自身が造りし業の果報を受けるのである。

もし、我々が常に瞋恚し、怒るとき、未来において、我々は風貌が醜い、人から、見たくない・会いたくないと思われるような、悪報を得る。

常に、業(因)の果報の応報(=因果応報)を思惟すれば、瞋恚蓋に対処することができる。

3、常に如理作意する

我々は、常に、瞋恚と怒りを滅し除くための、道理を思惟しなければならない。

すなわち、瞋恚と怒りの禍と忍耐の功徳である。

たとえば:

瞋恚と怒りが烈火のごとくであるとき、それはただ、己自身と他人を焼き尽くすだけであって、百害あって一利無し、なのである;

忍耐は清らかな泉の如く、己自身と他人を爽やかにし、己を利益し、他人を利益する;

瞋恚と怒りは、問題の解決にならないばかりでなく、かえって問題を、複雑にするものである;

ただ平静と理智を保持するときにのみ、問題は解決する;

瞋恚と怒りは絶え間なく、我々のエネルギ―を消耗させ、急速に、人の容姿を悪化させる;

心が平静で、和気に満ちていれば、その人は青春と活力を保持できる・・・。

4、善知識と親しむ

善知識が与える、言葉による教えと、身体による教えは、我々に対して、瞋恚と怒りの害と、忍耐の長所を、教えてくれる。

我々が、瞋恚と怒りを収められない時、善知識を訊ねて語らい、彼らの意見と忠告を聞くべきである。

常日頃から、常時、善知識の教えと徳行を顧みて、また観察し、瞋恚と怒りの生起した時に、彼らの教えと徳行を思い出す事は、瞋恚と怒りを収めることができる。

◆結論:

瞋恨蓋の対処法:

1、慈心禅

2、一人一人は、己自身の造りし業の果報の受取人であることを思惟する。

3、常に、如理作意を思惟する。

4、善知識と親しむ。

5、慈心を育成し、瞋恚と怒りを滅し除くことに効果のある適切な言論(+に親しむ)。

(5-17につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は

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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出

翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>