<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(三)それを無視する(それを忘れ、二度とそれに注意を払わない)
何事もなかったかのように、それをおのずから、あるがままに、生・滅させる。
これは非常に有効な方法である。
というのも、無視をすれば、五蓋の生起を自然に弱体化させることができるが故に。
これはちょうど、子供を躾けるのとよく似ている。
子供がライターで遊んでいる時、我々はその注意力を逸らすために、安全な懐中電灯を渡したりする。
もし、彼が満足しないならば、我々は、その時初めて、ライターの危険性を説明し、かつ、わざと彼を、火のついたライターに、近づけたりする。
もし、このようにしても、彼を脅かすことができないのであれば、後は彼をほおっておくのがよい。
彼は駄々をこねるかもしれないし、地面に転がって泣くかもしれないが、キーポイントは、ほおっておく事である。
暫く経つと、彼はつまらなくなり、欲念も消え去り、他のおもちゃを見つけて、遊ぶであろう。
もし、無視してもなお、邪悪な不善心が継続して生起するならば、彼は、以下のように実践するべきである;
(5-25につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>