<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
(四)リラックスし、生起する考えに、専心して注意を向ける
我々は、経文の中に書かれている比喩に関して、深く考えてみる必要がある:
「速く歩く人は思う:
『なぜ私はこれほど速く歩くのか?
どうしてもっとゆっくり、歩かないのか?』。
彼は考えた結果、歩みを緩める。
しかし、彼はまた考える:
『なぜ私は、これほどゆっくり歩くのか?
どうして立ったままでは、だめなのか?』
彼は考えた結果、立つことにした。
しかし、彼はまた考える:
『なぜ私は立っているのか?』
『私はなぜ座らないのか?』
彼は考えた結果、座ることにした。
しかし、彼はまた考える:
『私はなぜ座っているのか?』
『私はなぜ横にならないのか?』
こうして、彼は横になることにした。
このように、彼は粗くて目立つ姿勢を放棄して、比較的微細な姿勢を採用した。
言い換えれば、これは積極的な思考の力である。
多くの場合、あなたが深く懊悩する時、たとえば、あなたが車を運転していて、隣家の犬を轢いて、死なせてしまった時、あなたは誰かに向かって腹の内を打ち明け、彼はあなたを慰めて、徐々に気が晴れる様にしてくれる。
最初、彼はあなたに向かって、誰それもまた、その他、何かの動物を轢いた事がある、などと解説し、それゆえ、あなたの懊悩は軽減される。
というのも、あなたは、他人もまた自分と同じ間違いを犯すものだという風に、思えるようになるからである。
その後に、更に、あなたを慰めるために、彼はあなたに、彼が若い頃に、更にひどいこと、たとえば、熱湯を野良犬にかけたことがある、などという話をする。
しかし、この行為が間違っていると知った今では、彼は、傷ついた野良犬の為に、医療行為をしているのだと言う。
というのも、傷心し懊悩しても、現実の生活には、何の役にも立たないからである。
こうしたことから、あなたは、間違いを犯したことに対して、懊悩する事は愚かな事であると、徐々に覚醒し、それなら、犬を一匹買って、隣人にプレゼントした方がよい、と考えるようになる。
このように、一歩また一歩と、我々は、己自身に対して、益々良好な心境を、育成しなければならない事を知らしめる。
忍耐力と智慧によって、我々は徐々に、強力で力のある、五蓋の牢獄から、解放される。
これがいわゆる腹落ちする、という事である。
もし、邪念・不善心がいまだ継続して生起するならば、以下の、第五番目の項目を参考にすることができる。
(五)歯を食いしばり、舌を上顎につけるーー正念でもって心を縛り付ける
この方面において、経典の中で、一つ良い比喩がある:
上述の方法がみな失敗したならば、強者が弱者の頭または首の後ろ、または肩をつかまえて、彼を攻撃して倒すように、堅固で強力な決意と努力でもって、五蓋を征服する。
◆結論:
五蓋の対処法の方策:
(一)業処の転換。
(二)五蓋の禍を思惟する。
(三)それを無視する。
(四)リラックスして、生起する考えに、専心して、注意を払う。
(五)歯を噛みしめ、舌を上顎につけるーー正念でもって、心を縛り付ける。
(5-26につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は
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<「掌中の葉」(シッダッタ学院)中国語版→日本語訳出
翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>