「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)2-3
<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
仏陀の時代、非常に多くの女性修行者がいたが、大部分の人々は、聖道において果位を証得し、多くの女性が、仏陀の称賛を浴びた。
仏教の早期の経典の中で、仏陀の女性弟子たちが、褒め称えられているのを見ることができる:
彼女たちの精進、智慧と衆生を指導する能力は、賛美された。
当時、多くの女性が、世俗の家族を捨てて出家して、出離の生活を過ごした事に、疑問をはさむ余地はない。
実際、仏陀が女性の出家を許した後、大量の婦女が女性サンガに加入した。当時の社会の女性に対する各種の束縛を考えると、これは一つの非常に大きな成就・成果であった。
その当時、男性が父母の元から離れ、妻と子どもを置いて出家することは、彼の求道の願いが堅固であること、道業のために家庭を捨てることは功徳だと考えられた。
しかし、この方面において、女性の出家は困難を極めた。
女性は、男性とは全く異なっていて、それほど自由ではなく、出家するには、夫の無理難題に耐え、許可を得なければならなかったし、通常、女性は、年老いた父母や、子供の面倒を見なければならなかったからである。
仏陀が尼僧サンガを創設して、女性にとって、方便として利用できる扉を開いたため、そのことによって、女性たちは、出家生活を送ることができる機会を得、社会の習俗と文化の限界を、突破することができた。
仏陀は、女性が仏法を理解する能力は、男性と同等であると認めたが、このことは、当時(+のインドの人々)にとって、一個の革命的な考えであったのである。
(2-4につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>