<Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu>
更に奥深いレベルから見れば、メーチ・ケーウの修行は、無常生死を超越して、解脱の本質にまで到達している。
その覚悟・覚醒の心は、二つの、はっきりとした異なる面を持ち合わせている:
それは、心の能知(=知る事のできる能力)の本質と、その中において、生滅変化する心境である。
この区別を理解できないならば、我々は、変化する心境を真実だと見做して、これが心自身だと思いなしてしまう。
実際は、心境は瞬時に万変し、一刹那も安定することがない;
ただ、心の能知の本質のみが真実、恒常不変なのである。我々は通常、すべての事柄を雑駁に混ぜ込んで、それを心だと称している。
実際は、能知と心境が、同時に存在しているのである。
以上の洞察を得たならば、能知の心を覚悟・覚醒することができ、それは、所知(=知られる所のもの)の苦楽とは異なる(+別々の)事実だということが分かる。
心の本性は、一切の境界及び状況を知っているものの、しかし、それらに全く、一筋ほども、執着しない事である。
故に、心性は、苦楽の無常の境界を超越する(+ことができる。)
もし、我々がこの点について、見る能力(=直接知覚する能力)を持っているならば、世俗の真実を捨て、それらを放下(=手放す)ことができる。
このことを理解し、受けがうことができるならば、自然に執着から離れ、解脱することができる。
(2-8につづく)
<Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>
(+ )(= )訳者。句読点原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、
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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」Dhammavamsa Publication
中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>