Sayalay's Dhamma book

長年、当ブログにおいて逐次公開しましたテーラワーダ系仏教書翻訳文は、<菩提樹文庫>にてPDF版として、正式に公開されています。<菩提樹文庫>WEBをご閲覧下さい。

「メーチ・ケーウの物語」(翻訳文)3-13

    <Idaṃ me puññaṃ nibānassa paccayo hotu> 

ここの村人ーー特に敬虔な仏教徒は、斎戒の日には、時間を見つけて仏教関連の活動に取り組んだり、寺院に行って、お布施を届けたり、雑務の手伝いをしたり、仏法の教えを聞いたり、または禅の修行をしたりすることが、習慣になっている。

また、人によっては、すべての活動に、参加する者もいる。

この時、達白はすで 13 歳になっていて、彼女は毎朝早くから、父母について、邦克朗の森林道場に行った。

彼女は女の子であった為に、出家者と一対一で話し合う事はできなかった。

故に毎回、アチャン・サオが、在家の人と話をしている時、彼女は遠く離れた仏殿の後ろ、かろうじて、彼の柔らかな話し声が聞こえる場所に、座った。

達白は、婦人たちの後ろに座り、継母の肩越しに前を見て、仏法を注意深く聞いた。彼女はこの種の雰囲気に、深く酔いしれた。

達白は、すべての村民と同じように、生まれてすぐに、当然のように、鬼神への信仰を受け入れたし、彼女の世界観は、当時の人々と同じように、歴史的影響を受けていた。

彼女は、小さい頃から、鬼神の存在を知ってはいたが、盲目的に信じることはなく、常識的な観点に立って、因果を理解しようとした。

家には小さな祭壇があって、先祖を祭ってはいたが、達白の性格の故に、彼女は自然に、仏陀に帰依し、仏法を受け入れた。

こうしたことから、達白は、小さい頃からアチャン・サオの深遠なる影響を受け、彼のあの簡素で、現実の中に真理を追求する態度、平和で静かな落ち着いた気質と荘厳な威儀に、気持ちが揺れた。

アチャン・サオの性格、彼の話した話、彼の存在自体が、達白に堅固な信心(=確信)を激発し、彼女の心の中に、消える事のない印象を残した。

彼女は、アチャン・サオの教えを聞いて、禅の修行における、一境への専注を、実践した訳ではなかったが、しかし、心内ではアチャン・サオがすでに証悟した所の、円満静寂な境界を、感受していた。

非常に速く、達白はアチャン・サオの徳行による感化を受けたが、この一陣の微妙なる摂受力は、彼女を新しい方向へと向かわせることとなった。

彼女は生まれて初めて、この種の力に、忘れがたい思いを持った。

当時、アチャン・サオは、女性たちがサンガに供養をする功徳を讃嘆していたが、それは彼女たちが、毎日食べ物と必需品を供養するのは、出家者を利益するだけでなく、同時に、己自身においてもまた、将来、福報が得られるのだ、とした。

また、アチャン・サオは簡単にまた断定的に、どのようであっても、この布施の功徳は、出家してメーチになって、森林寺院で禅の修行をすることとは比ぶるべきもなく、メーチこそが、一切有情衆生の福田である、と補足したのである。

法話の席で、この話を聞いた達白は、大いに驚いた。

この日、アチャン・サオは、この小さな女の子の心の内の奥深い所に、小さな一粒の種を蒔いた訳であるが、この一粒の種が、ムクムクと芽を出して、やがては、天を突く菩提樹になろうとは!

(3-14につづく)

    <Mama puññabhāgaṃ sabbasattānaṃ bhājemi>

(+ )(= )訳者。句読点等原文ママ。★誤字脱字を発見された方は、

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<原題「美琪喬ーー一位阿羅漢尼修道証果之道」 Dhammavamsa Publication 

中国語版→日本語訳出 翻訳文責 Pañña-adhika Sayalay>