仏教の啓蒙本で、よく『怒ってはいけない』という題のものがあるのですが、私はそれらの本を、あえて読まない。
それは余りにも正論で、先に理想を掲げて、無理やり怒らないように我慢する、という事は、私にとっては、偽善だから。
私は長い事 イエスマン(ウーマン)でした。
苦しかったなぁ、その偽善。
仏教は慈と悲を説きますが、決して、イエスマンを求めてはいません。
うわべの優しさで苦しんでいる人は、原点に戻って、己の本心を見つめ、自分の中にある怒りを率直に、認めることです。
仏陀だって、お弟子さん達が争いを起した時は、悲しかったのか、洞窟に籠りました。
一人の横暴な弟子(シッダッタ王子が宮殿を出る時に乗った白馬の御者)に関しては、自分が般涅槃した後、「サンガ全体でシカトして良い」と遺言しました(彼は、仏陀以外の人の言うことを聞かないから)。
どんなことにも我慢しなければならない、というのは、業の本質をよく理解した人にはできるでしょうが、凡夫はできません。
そこは認めて、自分なりにバランスを取ること。
たまには「怒って」もいいのではないですか?
(勿論、正念正知を鍛えて、すでに出た怒りは、即刻断じ、いまだ出ない怒りは出ないようにする、のが理想です。これが出来れば、自利&利他同時、になります。)